e-bekkan
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いだ〜い
昨日辺りから怪しかった左股間が
完全におかしくなった模様。
いった〜い。
最近痛みも軽めで落ち着いてたのに。
普通に歩くのがもう痛い。
どうしよ〜。

もともと整骨院の日だったので
りょーこちゃんに今日はやばいと宣言して行ってきた。
何かしました?って心当たりなんだよなぁ。
いつもは痛くない右肩にもいつもはない痛みがあって。
これはたぶん日曜日の抱っこの名残かなと。
抱っこと股関節は関係ないからなぁ。
落ち着いてくれんと困る。
これだけの痛みがある時はちゃんとサポーターしてくださいって。
そうでちゅね。

明日は育休中のIちゃんがチビたん連れてやってくるから
午前中行かんといかんのじゃ。
ちゅうか、近所で診てもらってて
股関節のことで某大学病院を紹介した先生は
痛い時こそ診てもらえって言うんだけど。
大学病院となるとそう簡単には行けんし。
その先生いる曜日決まっちょるし。
どうすりゃいいんだ。
その近所の先生は、大学病院を紹介してからは股関節に関しては
ノータッチを決め込んでるから
注射も何もしてくれんやろうし。
ふんが〜。
治まってくれることを祈る。

では、昨日の続き。
あとはまた明日・・・!?

続き。

まぁ、だけど。
数年後に予想外の形でPTSDに襲われるわけです。
あの直後より、それからの時間より...
これがいちばん辛かったかもしれない。
辛すぎて誰にも言えなかった。
自分でも何が起きてるか理解するまでに時間がかかったし
今でも完全に抜け出したかどうか微妙なところもあります。
でも、この当時を考えれば本当に落ち着いたなぁ。

意味のないことなどないと思いたいから
このことにもきっと何か意味があると思うけど。
何であの時だったのか。
何で私だったのか。
今でも答えは見つからない。
でも、きっとどこかにストンと落ちるところがあるんだろうと思ってる。

この時期、今でも数回は突然号泣します(苦笑)
だけど、今ではそれはそれでいいかなと思っていて。
泣けることもいいことかなと。
一種のデトックスみたいな。

最近の私は、日常の小さな波はあれど
基本的に穏やかな気持ちで過ごせてると思います。
ブチギレキャラはおいといて(笑)
これも、たくさんの人たちが見守っててくれてるから。
さる事情により、最近スーパーな人たちにちょいちょい会いますが
悩みを聞かれても、そんなに深い悩みがなくて苦笑い。
小さいのはいっぱいあるんですよ。
でも、不幸だと思うほどのことはない。
この前、Yちゃまにも大変そうなものは見えないと言われたから
ホンモノかな(笑)

そう考えると、あの日からの自分もちゃんと頑張ってきたなと思える。
いろんな感情が沸き起こってくる時はあるけど
確実に時は流れてると実感できる。
あの日、ホールまで送ってくれたSakiたちとも
しばらく連絡がとれない時期があったけど
FBのおかげでオーストラリアで発見してから毎年会いに行ってるし。

ここへきて新しい道を模索し始めたり
10年たった今、動き始めたこともある気がしていて。
そのことがかなり私の心を軽くしてくれています。
10年だからというわけではなく
たまたま今なのだと思うけど
偶然だとしても素晴らしいことがたくさんリンクしているように思える。
そう思えることも十分幸せだし
これからもっといろんなことが起きていくと思われます。

いつも私を見守り、支えてくれている人たちに心から感謝です。
ありがとうございます。


 
もぉ〜
昨日からずっと雨が降ってる。
もういいよ〜。

今日も普通に仕事して帰ってきたなぁ。
何かあったっけ?

今年度の目標管理というやつをやらんといかんくて。
今回から書式変わって、あーしろ、こーしろ言われ
やる気ぜろ〜。
だって、今までいろいろ書いてきたけど
全然読んでもらってる気しないんだもん。
そんなに言うなら、本気で書いたろか。
そっちが困るやつ。

できものはまだ出口できず。
白いのはだいぶとれて、皮もペロンと剥けたんやけど。
出てくんのかなぁ。
いや、もうこうなったら気持ち悪いくらい出てきてほしいんやけど。


特にネタもないので、10年目の告白を。
当時のことはthe daysのとこにあるのですが
その頃必死で最小限にしたことがダダ漏れです(笑)
興味がない人はスルーでOK。

桜の季節。
桜は大好きだけど、この季節はちょっと苦手でもある。
4/9は多くの人にとって大きな意味のある日。
私にとっては、その数年前父が最初に倒れた日でもある。
これを書いていて、xxxのことと父のことが何かとつながっているから...
余計にこの10年が大変だったんだなぁと思った。

あれから10年。
あれ以来、私は一度も京都に行っていない。
今では行けないとは思ってないけど、今のところ機会もなく。
あの日くらい圧倒的な桜を見たことはないと思うほど
あの日の京都の桜は素晴らしかったなぁ。
それがあるから、あえてすごいと言われる場所に
桜を見に行かないのかもしれない。

別のことで闘病していた父に癌が見つかってしばらくたち
いよいよ余命宣告をされたのもあの演奏会の練習をしている頃。
そんな状態で臨んでいた練習は
まるで何かを暗示するように命を歌う歌がたくさんあって
練習中に涙をこらえるのがなかなか大変でした。
忘れもしない、余命の話を聞いたのはある日の練習場の入り口。
大手術が終わるのを離れた東京でひたすら祈って待ったのも1回ではなく・・・。

そしてあの日。
京都で、ちょっと前まで笑ってしゃべっていた人が突然いなくなりました。
xxxの異変に気づいてそばについていたのに
手をとり、声をかけ続ける以外できなかったことは今でも悔やむ。
助けたかった、助けられなかったという思いはずーっとあった。
だけど、だからと言って、あの時、あの場に戻っても
あの頃の私にはやっぱりあれ以外できなかったと思う。
実は、なぜか病院での最期も私の目の前だった。
先生が説明をしてくれ、その時を迎えた時も私は妙に冷静だった。
何で私に?と思いつつ、見つめる以外何もできなかった。

翌日の演奏会と1週間後の東京公演が終わるまでは正直よく覚えていない。
何よりつらかったのがそれどころじゃないのにやった現場検証だったのと
京都での演奏会が終わった後、
関西の友達が外で待っててくれたのはすごくよく覚えてる。
でも、思ったより普通に時間は流れていたように思います。
数日後、1日だけ起き上がれずに会社を休んだかな。
直後の健康診断も問題なくて
「こんなにしんどいのに何で問題ないのよ!?」って逆切れしてみたり(笑)

たぶん、その後も本番あってしばらくは歌ってたのかなぁ。
その2ヵ月後に父が亡くなって、いよいよ歌どころではなくなりました。
父の死は、xxxと違って、順を追っていたのと
最期を家族全員で静かに自宅で見守れたので
ちゃんと受け入れられたというか。
母の野生の勘は素晴らしく、その日の朝に姉弟に連絡をくれ
見事なタイミングで揃って見送ることができました。
父は職業がら、誰よりも自分の命をわかっていて
最期まで何かを伝え続けてくれたような気がします。
ちなみに、この2ヶ月後には横浜に住む父の弟も亡くなり
それも母と見送ったという。
なんちゅーか大変な数ヶ月でした。
でも、小さい頃から生死の問題が普通に家の中にあったせいか
これだけのことがあった割りには?普通に過ごせていたかもしれません。
周りはすごく気を遣ってくれていたと思いますが。

父は最終的には、今話題のつんくさんと同じ状態だったので
コミュニケーションをとるのが大変でした。
それ以前から普通の会話も難しかったけど
しゃべりたいことたくさんあったし、声もいっぱい聞きたかったなぁ。
これは本当に悔やまれる。
そんな状態でも、不思議と父が帰って来いと言ってるのはわかって
(後ママの文句言ってるのもわかった。笑)
最後の方は毎回涙こらえてお別れしてました。

つづく。


 
解放
なんか、今日もめっちゃ仕事した〜。
今週よー働いてるわ。
明日もT市やし。
朝はよー行かんと。

さて、今日は彼の命日です。
10年たちました。
10年なのでというわけでもないけど
このところ10年たった今を文章にしてました。
でも、ここ数日の忙しさで、なんだか整いきれてない。
ふむ〜。
どうしたもんかちょっと考えます。

そんなこんなしてる時に、某所でひいたカード。

これの意味を聞きながら、思わず泣いてしまいました。
まさにそういうことなんだよね。
ただの偶然だとしても
この時期にこのメッセージを聞いて
私はようやく解放されるような気がした。
まだまだ涙も出るとは思うけど
あれから着実に進歩してる自分を認めてあげなさいと。
できなかかったことを攻めるなと。
罪悪感を手放せと。
バラ買ってくるの忘れちゃったなぁ。


あなたは着実に進歩し続けてきました。

そして、この進歩(完成ではなく)が大切なのだと認めることに意味があります。

 

あなたが、どれほど多くのものをこれまでに達成してきたか、

そしてその過程でどれほどたくさんの人々を助けてきたかを認めるように

というメッセージなのです。

 

自分がしたことは間違いだったと思うのはやめましょう。

罪悪感と後悔は何の役にも立たないので、
今日中に手放すようにしてください。

また、したことやしなかったことに対して、
自分自身を許さなければなりません。

 

聖テレーズは、完璧にスピリチュアルな人生を送った訳ではありませんでした

(例えば、祈りの最中によく居眠りし、集中出来ないこともありました)。

とはいえ、彼女は私たちと天や神とを繋げているのは、

着実な進歩という「小さき道」であると主張しました。

 

彼女はこう書いています。

「挑戦から学び成長しなさい。

しかし、挑戦が献身や霊的な道の妨げになることはあってはなりません」と。

 

聖テレーズは1873年にフランスのリジューで生まれ、

2人の姉妹と共にカルメン会の修道女になりました。

そこで、彼女は神秘的な体験をするようになり、(修道院長の指示によって)

魂の物語という自叙伝を書き残しました。

 

潰瘍、結核、関節炎の患者が多く奇跡的に癒されたのは、

聖テレーズの神への祈りによるとされています。

 

臨終の場で彼女は自分が助けに来ていることを示すサインとして、

バラの花を贈ると約束したことから、
彼女はしばしば「小さき花」と呼ばれています。